「今更そんなこと言われなくても、本で読んだよ!」という人は、読み進めても得るものが無いかもしれません。このお話は、自分が思ったこと記録するためのものです。
社交辞令のメール
打ち合わせ参加者 各位
打ち合わせにご参加いただきまして、ありがとうございました。
議事録をお送りいたします。
責任を果たす人、人任せのひと、分け隔てなく参加した全員に今日も同じメールを送る。
打ち合わせの進行役になる
全体打ち合わせの中で、作成した資料に問題があることが発覚。急遽、資料を作成した関係者が集まり、問題を解決するための打ち合わせが行われることになった。
会議室に入ると、メンバーはすでに揃っていた。空いている席は進行席のみ。俺、進行役なの?!まあ、問題提起したし(同僚Nの指摘を右から左に流しただけなんだけどね!)そういう流れなのか。
認識違いを防ぐために、同僚Nに「打ち合わせに参加していただきたい。30分ぐらいで終わると思う。」と参加をお願いした。
「それでは、打ち合わせを開始します。」
2つの資料の整合性を取るのが課題。「順番に見ていけばそんなにかからないはず!」と思っていたら、甘かった。開始早々、話が脱線した。
脱線の原因は、資料を作成する上で決定しているべきことが決定していないこと。資料は、そういうことがあるとわかっている上で作成されている。「決まっていればもっと正確な資料が作れるのに」とみんな思っているだけに、どうしてもそういう話題に脱線してしまう。
その後、数々の脱線を乗り越え、資料の整合性を取った。時刻は、同僚Nに言った30分を大幅に超えていた。申し訳ない。
「それではこれで打ち合わせを終了します。ご参加ありがとうございました。」
帰りの電車で
急ぎの仕事を片付け、帰りの電車に乗って雑誌を読んでいたときにふと思った。「仕事で人が感謝されると成長するメカニズム」ってこんな感じじゃないのか?
1.仕事で感謝される →2.感謝されてうれしい →3.次はもっと上手くやろう →4.仕事が上手くなる →5.前より良い結果が出る →1.仕事で感謝される
「感謝」を「褒める」にしても同じかな。
この連鎖が続く人は成長できると思う。でも、2で満足する人と、1が発生しない人には役に立たないな。人任せのひとにはまったく役に立ちそうにない。
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